Last Updated on 2022年9月7日 by 高橋 秀明
克服の考え方
トラウマを持っている人は、対処する出来事がトラウマに類似した出来事の場合、その出来事に対して、トラウマが反応し、対処できなかったという行動を思い出し、「なにもできなかった」という態度とその時の「感情」(怖がっている態度)を表現します。
トラウマを受け取った年齢に比べて、数年、十数年、数十年経過しているので、トラウマを受け取ったときに対処できなかったことは、今考えると対処できると考えられます。
その時対処できなかったのは、もちろん対処する能力がなかったからであり、今の今まで対処してこないままにしてしまったのです。
つまり、
トラウマ体験を思い出し、対処できなかったことを、改めて対処すれば、トラウマは克服できるということになります。
しかし、
トラウマの体験を思い出すことは、とても苦しいのです。
なぜなら、トラウマの恐怖体験の記憶は、出来事の記憶に合わせて恐怖感という感情を伴っているからなんです。
理屈が分かったとしても、思い出すことでフラッシュバックを起こしてしまう可能性があるので、オススメしません。
では、どうしたらよいのでしょうか?
感情に触れずに克服する
それは、「対処できなかった事に対処できる自分を作り、対処することです」。出来事だけに焦点を当てれば良いのです。
具体的には、
問題は、「対処できなかったのは、その時、対処する能力がなかったから」であり、言い換えれば、「親が子ども対して、理不尽な要求や態度を示した」のが問題の原点なので、その点のみを対処すれば良いことになります。
例えば、
子どもが小学生の頃、いじめにあったとします。普通であれば、その体験を親に話し、親が先生や校長、教育委員会又は法的措置により解決に導き、場合によっては、いじめた子どもの親との間で話し合いで、まとまれば、いじめは解消します。(実際そんな簡単にはいきませんが、王道を押さえるのは大切です)
いじめた相手は、元々親に対して寂しさなどの感情を持っており、解消できない気持ちのはけ口として友だちに転移(対象者以外の別の場所で発散する行為)している可能性が高いのです。
問題は、いじめられた子どもが親に言うことができないのです。なぜなら、親が対処してくれない存在であったり、子ども自身が悪いような見方をするなど、親自身が自己肯定感が低かったり、他者を肯定する気持ちが低い場合、子どもは「親に言ってもしょうがない」とあきらめてしまっているからです。
子供の目線は、「どうしたら自分がいじめられなくなるか?」 ではなく、「どうしたら自分が信頼できる親になってくれるのか?」 が課題となります。
いじめを機に、親子関係という、この課題をずっと引きずってしまい、頭の中をグルグルしてしまうのです。
例えば、
子どもが小学校の頃、成績の悪さから父親から「勉強しろ」と、毎日のように叩かれたり、怒鳴られたりされていた場合、子どもは恐怖心を持ってしまいます。
子どもが欲しいのは、親から受け取りたい「受容力」であり「理解力」です。
社会人になったとき、他人に対する包容力(受容力)であったり、相手が何に悩んでいるのかといった共感力(理解力)が、人間関係を円滑にする技術であるので、
「どうしたら、親は受容してくれるのか?」「どうしたら親は理解してくれるのか?」という疑問を恐怖感とともに頭の中をグルグルしてしまうのです。
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