相手を許す? 自分を許す? 許すとは?

Last Updated on 2022年9月5日 by 高橋 秀明

「相手を許す」という言葉から、あなたはどんな情景やイメージがわきますか?
それは、例えば、相手からの中傷などがあっても優しく接する自分とか、相手の失敗を見逃してあげる自分とか、責任転嫁された怒りを飲み込んでいる自分といったイメージではないでしょうか。
なんか、個人的に「苦しい」っていう感じがしますね。

逆に、「自分を許す」という言葉ですと、どうでしょうか?
自分の失敗に対してなかったことにするとか、怒りの感情を持たないようにするといったイメージでしょうか。
これはなんか、我慢している感じがしますね。
そう考えると、そもそも、「許す」っていったい何なのか、難しいですよね。許すって苦しくて、我慢することなのでしょうか?
今回は、相手を許すにはどうすれば良いのか?、自分を許すにはどうすれば良いのか?について書いてみたいと思います。

目次

許したくない相手を許す必要はない

いじめた相手を許す必要はない

例えば、小学生時代のいじめが、大人になってもまだ尾を引いている悩み事を誰かに相談した場合、相談を受けた人によっては、「過去のことだから、過ぎ去ったことだから許しましょう」とか、「相手にもいろいろ悩むところがあったのだと思って許しましょう」という人がいます。
場合によっては、「相手が謝ってきているんだから許しましょう」という場面かもしれません。
私なんか、「人の気持ちを考えず、何を適当なことを言っているんだ!」と思ってしまいます。
相手に対して、わだかまりがあるのに、許す必要があるのでしょうか?私はないと思っています。無理やり許そうとすると、それは、自分に嘘をつくことになり、さらに自分がつらくなり、苦しくなってしまうからです。
もちろん、放っておいて良いという意味ではありません。

暴力を振るった親を許す必要はない

例えば、親が子どもに暴力を振るったり、ネグレクト(育児放棄)をすることで、大人になってから人間関係が上手くいかないケースがあります。
そんな時、「親もいろいろ苦労しているんだから許してあげましょう」とか、「あなたのためを思って取った行動なんだから許してあげましょう」という人がいます。
個人的には、間違いだと思います。許す必要はないと考えています。
間違っているのは、親の子育てであり、正しくない子育てをした結果だからです。
無理矢理、親を許そうとすると、そのストレスが、場合によっては、自分が育てる子どもに無意識に向けられてしまいます。
つまり、親の子どもに取った行動は、子どもが親になり、自分が子どもを育てるとき、無意識に子どもに取ってしまうからです。
場合によっては、真逆の態度(例えば、自分が暴力を受けたなら、子どもに対しては恐怖心からネグレクトをしてしまうなど)を取ってしまうのです。

恨み続けることは自分を苦しめているだけ

自分に危害を加えた人を許す必要はありませんが、だからといって、ずっと根に持ち続けることが良いかというと、そう思っている人はいないと思います。私も、そのままで良いとは思いません。
恨み続けるということは、苦しかった状況を繰り返し思い起こすことであり、苦しい感情を味わうことになります。
そして、解決や対策に思考が向かうわけではないので、過去の出来事を思い出し、苦しい思いをすることにたくさんの時間とエネルギーを費やすこととなってしまいます。
繰り返し思い起こすネガティブな思考は、他の場面でもネガティブな発想を優先させてしまいます。
悪いことがあると、「やっぱりそうだ」と考え、良いことがあっても、「偶然だ」と考えやすくなってしまうのです。
ですので、恨み続けるのではなく、どうすれば良い方向に向くのかを考えていくことが大切なのです。

必要なのは、自分の能力を高めること

相手を許すのではなく、勉強などをして、適切に対応できる能力を高めることが肝心なのです。
許すのではなく、自分は何ができなかったのか、そのときどうすれば良かったのかを明確にし、対応できる自分を作ることが大事です。また、対応できる自分を作る年齢でなければ、親にどうしてもらえば良かったのかを考えることが大事だと思っています。
いじめは、犯罪であり間違いです。いじめられたのなら、その時、しっかり親に伝えられたでしょうか? なんでも伝えられる親だったでしょうか?
あなたに対して、しっかり対応してくれ、気持ちを分かってくれる親だったでしょうか? その時、本当は誰がどんな行動をしてくれたら良かったのかを考えてみましょう。
間違った子育てであれば、ちゃんと、親に間違っていることは伝えることが大切ですし、伝えるためには、自分が子育てを勉強する必要があります。
知識がないと、親に間違いだと反論できません。親の問題もありますし、もしかしたら、本質的な根源は、政治や教育委員会かもしれません。
いろいろ学ぶことが大切ですね。

許せない自分を捨てて、許せる自分になる

相手を責めるのは自分を許していないから

例えば、社内で相手がやったミスを責任転嫁し、自分に押しつけてきたとき、「私はミスしていない、すべてあなたのせいだ」とやり込めることは得策ではありません。
相手と縁を切るならともかく、会社は共同体として利益を上げる場所ですから、それにふさわしい対応が必要となります。
相手の言い分を傾聴し、冷静になって相手に対応策を提示したり、相手がもうミスしない状況を一緒に考え創り上げれば、相手は喜びますし、あなたに押しつけたことを謝るでしょう。
そうできるかどうかは、相手の問題ではなく、自分の心との向き合い方が問題となってきます。
目の前の出来事のみに意識を向けるのではなく、相対的に必要な行動を取ることが社会人として必要な心構えになると思います。

愚痴を言うのは自分を許していないから

同僚が適当な仕事をして、みんなが忙しいにもかかわらず定時で退社したことを根に持って、他の同僚に愚痴を言うのはもちろん得策ではありません。
憂さ晴らしは、そのときの感情をおさめる手段としては有効かもしれませんが、相手は、自分の行動は正しいと思っているので、相手は繰り返してしまいます。すると、あなたの愚痴は永遠に続くことになります。
もともと、何が問題かを明確にし、必要であればその同僚に説明したり、上司に相談するなどして問題解決に動くことに意味があります。
そうはせずに、愚痴を言うのは相手の問題ではなく、自分の心の問題ですね。
愚痴を言いたいというのは、自分の思い通りになっていないからです。つまり、「自分の思い通りにならない限り、自分を許してはいけない」という信念に、とりつかれてしまっている状態なのです。
相手の思い通りは間違いで、自分の思い通りが正しいという意識を持ってしまっているのです。
(根源は、「そう思わずにはいられない」というストレスであり、いろいろ理由はあるでしょうが、子どもの頃、親に思い通りに動かされてきたストレスが原因かなと思います。)
愚痴を聞かされる相手は、迷惑以外に何ものでもありません。
愚痴を言いたい人は、過去の話を持ち出しながら話すので、永遠に止まることはなく、進展しないのです。

必要なのは、自分の心を向き合うこと

自分が許せないのは、相手の問題ではなく、しっかり自分の心に向き合い、自分の心の狭さを理解することが肝心なのです。
心が広くなるとは、自己肯定感が高くなると言うことです。
自己否定感を減らして、自己肯定感を高めていこうと考えて、行動してみましょう。
いろんなことが受け容れられる自分になっていきますよ。

許すとは自分の包容力を広げること

許すとは、言(ごんべん)に午(うま)と書きます。
なぜこれが許すなのでしょうか?
それは、午の漢字は、杵(きね)が語源で、杵を上下に動かすさま、上下に動かして動く幅を広げるというところからきています。
そこから、心に幅を持たせ、「これでよし」と言ってゆるすこと、なのです。
つまり、許すとは、幅の広い心を表しています。
もちろん、狭いより広い方が良いですが、許す必要のない範囲の出来事まで許す必要はないとも言えるのです。
適正な範囲を知ることが大切とも言えます

自分を許せる自分になると、相手を許せる幅が広がる

「こんなことじゃダメだ」、「もっとできなければ」、「もっと上位を目指さなければ」と、自分を苦しめていませんか?
自分を許すとは、「こんなことでもいいんじゃない?」「もう十分できているよ」「上位を目指すことが楽しいならOKだけど、つらいのなら別の道もあるよね」という事ではないでしょうか。
まずは、自分の行動を振り返って、自分に重荷を課していないか、頑張りすぎていないか、自分を否定していないか、心に聞いてみましょう。
自分の重荷を軽くしたり、頑張ることから逃れたり、自分を肯定してあげることで、自分を許せる自分になることができます。
すると、適正な範囲が明確になり、相手を許せる幅を広げることができるようになります。

どうしたら許せる自分になるのか?許せる自分を作る7つの方法

許せない出来事について瞑想する

許せない出来事が思い浮かんだら、瞑想をしましょう。
瞑想というと、何も考えないことが一般的ですが、ここでは、リラックスした状態で許せない出来事を考えることをします。
とは言っても、ずっと許せない出来事を考えるのではなく、どうしたら許せるのか、新しいアイデアを瞑想しながら考えるということです。
頭の中で繰り返し考えている許せない出来事を客観的に見ると言うことで、違う視点が浮かんだり、新しいアイデアが浮かんだりしてきます。
また、自分は、何に固執しているのか、どこに思い込みがあるのかなども瞑想の中で考えてみましょう。

自己肯定感を上げるには、自己否定感を下げる

自己肯定感は、別の記事にも書きましたが、自己否定感を見つけることにあります。
自己否定感は、自分を苦しめている自分の感情や感覚のことで、「ねばならない」といった思い込みや、「無理」「できない」といった、理由が過去に縛られた否定的なものです。
誰しも、自己肯定感(自己存在感や自己効力感、自己有用感といったもの)は持っていますが、過去のできなかった出来事の思いが強く、あきらめが先行してしまっている事もあります。
自己否定した出来事を見つけ、今でもそうなるかどうか検証してみましょう。

自分の得意技を見つけ、徹底的に磨く

許せない原因の一つに、相手に対する劣等感が挙げられます。
それは、「あいつはもてる」とか「あいつはほめられる」とか「あいつは仲間がいっぱいいる」といった事とできない自分を比較することで、許せない自分を作ってしまいます。
そうならないためには、自分ならではの得意分野、自分の得意技を見つけ、磨き抜きましょう。
自分の個性に合った得意なことを見つけ(見つけるには、体験を繰り返すしかありません)、深掘りしていきましょう。
「他人には他人の個性があり得意技がある」、「自分には自分の個性があり得意技がある」と思うことができるようになると、自分も相手も許せるようになります。

他人と比較せず、相手の良さを見つけよう

他人と比較してしまうのは、日本の教育そのものにも問題があります。
比較して、競争心をあおり、上位にいないと惨めな思いをするという、脅迫観念的な教育を長年に渡り、今でもまだけいぞくしています。
その結果、比較するのが当たり前の感覚を持ち、個性をないがしろにする社会になってしまいました。
しかし、本来、人は皆、個性があり、他人と比較するのではなく、他人とは違うからこそ他人の良さを吸収し、自分も成長できるという楽しく、喜べる感覚があるのです。
そのためには、今からでも、他人と比較し優劣を感じるのではなく、相手の良さを見つけようと考えてみましょう。

失敗は学びだと考える

今の社会は、人は失敗すると、追求されたり責任を取らされたりします。
しかし、本来失敗は、何かを成功させるためのプロセスでしかないのです。
成功したら、そのプロセスは終わることになります。
成功したら、褒められますが、学びにはなりません。一瞬で終わるからです。
失敗しないと、学べないのです。学ぶためには、失敗する必要があるのです。
本当の成功を掴むためには、繰り返しの失敗から学ぶことが大切だと分かります。
そんな考えが広がれば、失敗を嘲笑したり、さげすんだりする人はいなくなります。

比較する人や愚痴を言う人から離れる

とはいえ、比較する人は世の中にたくさんいます。ですので、比較したり、愚痴を言ったりする人がもし近くにいたら、離れるようにしましょう。
そのような人と一緒にいると、比較や愚痴が当たり前と洗脳されて、いつのまにか自分も比較したり愚痴を言ったりしてしまいます。
無意識なので、とても怖いところです。今、愚痴を言っている人も無意識・無自覚なのでとても怖いのです。
気がついた時点で、離れるようにしていきましょう。
それらをちゃんと理解して、愚痴を聞いてあげる分には構いませんよ。

他人の役に立つことをする

許せる自分を作るには、自分には許せる力があることを腑に落とすことが大事です。
許せる力とは、まさに自己肯定感であり、ありのままの自分を受け入れると言うことです。
それは、ありのままの相手も受け入れると言うことです。
ありのままの相手を受け入れるとは、相手の人生すべてを認めると言うことです。
(相手が犯罪をしたとき、見逃すという意味ではありませんよ。「罪を憎んで人を憎まず」です)
相手自身と相手の関心事に関心を持ち、相手の役に立ち、自分に受容する力があることが分かった時点で、許せる自分を認識することができます。


いかがだったでしょうか?
みんなが、他人を許し自分を許す社会になったら、本当の意味での豊かな社会になると思います。
自分にも言い聞かせつつ、今回の記事を終わります。
ありがとうございました。

心理カウンセリングを行っています。

ストアカで講座を開いています。

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